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(5)在日外国人と・・・【伝えるってナンだ? 情報保障から考える】

「伝わるってナンだ? 情報保障から考える」の5回目です。引き続き“在日外国人と情報保障”を対談形式で考えていきます。

前回?
前々回は?

自分から!

Chabin (以下、C) :
通訳とか翻訳に辿り着いたのは、留学経験で味わった疎外感とかが原点にあるんですよね?

神田すみれさん(以下、神) :  
おそらく。最初はそうでしたね。あのころの自分の経験があるから、帰国後に出会った外国の人たちに共感したのですが。いまはもっと社会構造的な部分に対する怒りで動いている。かな。
社会をよくしたい、みんなが暮らしやすい地域にしたいという思い。目指すのは、望む全ての人が生まれた故郷で家族みんなで美味しいごはんが食べられる暮らしができる社会。

C:
在日外国人が日本で安心して暮らすために一番必要だと思うことはどんなことだと今は思いますか?

神:  
多様性を受け入れ、尊重する地域社会だとおもいます。自分と異なる考え、背景の人を、人人が受け入れ尊重し合うこと。それだけです。

C:
心がけていてもいざというときできていないなとよく反省します。

神:
私も含めて誰もがそうだと思います、それを一人ひとりが意識して少しずつ変えていきたいです。まずは自分から。

C:
ですね。 その中で、情報取得の面では現状どんな感触をお持ちですか。

神: 
壁だらけですね。情報取得の方法も国ごと、社会の層ごとに異なります。申請しないと受けることのできない諸々の福祉制度や権利を知らないために、受けることができていない人がたくさんいます。税金だけはらって、住民としての権利を知らないまますごしているひとは多いです。

C:
触れていいかという話しですが、相談されてよくよく調べてみると制度がつかえるよみたいなケースが多いのですか?

神:
よくよく調べる間でもなく、なことはよくあります。

解決策は?

C:
そういう制度を書いたものさえあれば、こうした問題は解消に繋がりますか?

神:  
紙媒体で情報を得る習慣のある人とそうでない人、そもそも文字が読めない人、翻訳のコストなどいろいろな問題があって、紙媒体での情報伝達はこれまで散々試みられてきていますが、あまりうまくはいっていないですね。

C:
散々試みられてきた??

神: 
紙媒体でチラシや冊子はたくさん作られてきてはいますが情報が伝わっているとは思えません。ああ、一つよい例があります。
失業手当は、自主退職だと申請後3ヶ月の待機期間があり、そのあと失業状態であれば、手当の支払いがはじまりますが、これを誤解して、退職後3ヶ月経ってから、申請にくるひとが時々いるのです。
申請してから3ヶ月の待機期間なので、合計6ヶ月待たなければならなくなるのです。退職後すぐに申請をするのですが、それをしらない外国人が多いです。雇用保険に加入していても、そのシステムを理解する機会がない、というか。

C: 
話していて、ちょっとした情報でも得られない・得にくいということと参加できるコミュニティ(言語的な問題とかいろいろ)の数に制限があることに関係があるのではないかと思いました。

神:  
それは大きいかもしれませんね。たしかに。

C: 
いつも、いつも、同じ人・こととはいきません。

神:  
ただ、それが人権、受ける権利のある福祉制度だとしたら問題になります。障害のある人が、情報が得られないために、手帳の認定申請をしていなくて福祉制度を利用できない、ということが問題です。

C: 
すみれさんからみて、在日外国人が日本語を習得することっていうのはどのくらいのハードルがあると思いますか。

神:  
その人の母語によります。韓国、中国の人が日本語をまなぶのと、英語やポルトガル語のラテン語圏の人が日本語を学ぶのとは全然ハードルが違うので。

「表現する」を支えることは?

C: 
たとえば、自分たち障害がある人でも在日外国人でも誰でも24時間1分1秒常に誰か他人の支援を必要としている人はいないんじゃないかと思うのです。

神:  
そうですね。私も、出産して子どもを育てるときにどうしても助けが必要なときがあります。でもそれは常に寄りかかるのではなく、自分が自立して自分らしく生きるために力を貸してもらう、そんな感じです。

C: 
毎日流れてくるニュースなりなんなりはただ支援が必要だからという目線でしか流れてこないような気がしていて、そこでちょっともやもやしています。

神:  
当事者目線が抜けている、のかもしれませんね。当事者の言葉ほど強いものはないと思います。そして、当事者がこうありたいという思いに気づいて動きだすことが社会の意識や制度を変えていくのだとおもいます。
私も自分が当事者である、女性であること、口蓋裂患者であることで、自分はどうありたいか、どういう社会を望むのかということを常に言葉に表現して発信していきたいですし、自分が関わるマイノリティ支援も、当事者が自分の言葉で表現することを支えることが私の役割だと感じています。

C:
マイノリティ支援という言葉はじめて聞きました。どういうカテゴリーかが特定されてないのでいいですね。ありがとうございました。

対談後記
制度を受けるのに支援がいる。だからより簡易な受付体制にしてほしいという声の一方で窓口の負担という問題もあるのだと思います。交渉とか調整って大変ですが、双方がすっきり納得すればなんということはありません。ほどよく折り合いをつけるって大切ですね。

この「伝わるってナンだ? 情報保障から考える」は毎月第3木曜の夕方に更新していきます。次回、このシリーズは最終回です。このシリーズの振り返りができればと思っています。

radikoプレミアム 4ヶ月

radikoのエリアフリーが始まってもうすぐ4ヶ月。ここらへんで一度エリアフリーで何が変わったのかを自分なりにまとめておこうと思う。キーワードは、「出会い」・「朝」・「再会!」・・・・。

radikoエリアフリーは今年2014年4月に始まった。その半月前の『BRUTAS』という雑誌の特集が「なにしろラジオ好きなもんで?」だった。『BRUTAS』という雑誌の存在すら知らなかった。ラジオの特集は5年ぶりだそう。10ページぐらいの特集とおもいきや、ほとんどラジオの特集。それもradikoエリアフリーを意識した特集だった。鶴瓶さん、中島みゆきさん、伊集院さんとにかくよみごたえがあった。

出会い

新しいものときたら出会い。この4ヶ月を振り返っただけでもいろんな出会いがあった。同じ番組をきいていてつながったフォロワーさんもたくさん。

『BRUTAS』を読んでいて「これだ!」と思ったのが、MRO北陸放送ラジオ土曜昼1時からの「鼻毛の森のラジパラZ」。むしろ・逆にをなんとかして壮大ななんとかかんとか。あと理路整然とね。全然理路整然としてない文ですみません。時事ネタを気持ちよく入れていくオープニングトークは聞き逃せませんね。

とにかく朝の選択肢が増えた。月曜日の朝はTBSラジオの鳥越俊太郎さんのコラム(朝9時から)を録音して聞いている。エリアフリーがはじまる前は、たいてい東海ラジオの「矢野きよ実・山浦ひさし 太陽とバナナ」を聞きながら朝の準備をしていたが、今はジャジーな気分だったら、α station(エフエム京都)の「α morning kyoto」(朝7時から)。シャッキとしたいときはFM802の「TACKY IN THE MORNING」(朝7時から)あまり聞いてないけど、interfmの「Barakan Morning」(朝7時から)もおもしろそう。前なんか30分の楽曲が流れていたらしい。世の中で起こっていることに耳を傾けたいときはABCラジオの「おはようパーソナリティ 道上洋三です」(朝6時半から) 道上さんのエピソードから引き出される話に引きこまれてしまう。少し落ち着いた後はFM802の「WEST NAVI STATION」(木 朝10時から)もほぼ毎週聞いている。

再会!

名古屋で昔しゃべっていた人や名古屋では終わった番組にも再会できたのもうれしい。高校生の頃までZIPFMでしゃべっていたユキ・ラインハートさん 今はJFN各局で放送されている「AOR」(平日夜7時から)で話されている。さっきの「TACKY IN THE MORNING」(朝7時から)の大抜卓人さんは一時期名古屋の平日昼帯を担当されていた。落ち着いた話し方がとにかく好きだった。これも再会。池田なみ子さんもFM COCOROでしゃべっている。(金 土 朝6時から)あとうれしかったのは、FM AICHIで終わった宮沢和史さんの「MIYA THE WORLD」を再び聞けるようになったこと。今年年末でTHE BOOMが解散することはショックだけど、宮沢さんの話がこれからもずっと(?)きける安心感は大きいかなと。

あの人この人

東京などは有名人がぽっとラジオでしゃべっている。阿川佐和子さんの『聞く力』を読んで以来、文化放送昼帯の『大竹まこと ゴールデンラジオ』(平日 13時から)の月曜日は聞くようになった。あと木曜日になると福岡KBCラジオの『PAO N』(平日13時から)が聞きたくなる。 松村邦洋さんがでているのだ。昔松村さんのものまねコーナーを毎週聞いてた。同じようなテイストでやっぱり癖になる。

全国のラジオが聞けるってことは、それぞれのラジオ局の開局記念特番も聞けるということ。6月にはFM802が、7月にはニッポン放送の特番があってきいていた。それぞれのラジオ局が持つキャラクター性に触れられることもradikoエリアフリーの醍醐味だと思う。ただ情報を発信するだけじゃなくて、こんな思いで電波に乗せて発信しているんだよみたいなメッセージを受け取った瞬間、ものすごく幸せになれた。

情報源

年に2回春と秋に三才ブックスから発行される『ラジオ番組表』が役立っている。JFNのネット番組はホームページに放送時間が書いてないことが多々ある。番組名で検索してwikipediaを出すとたいてい各放送局の放送時間が書いてあってそれを『ラジオ番組表』で確認すれば安心。

意外と役立っているものがradikaというradikoの受信ソフトの番組情報。この局今こんなんやってるんだという発見がたびたびある。

自分が聞いている(聞き始めた)ものを中心に書いてみた。みなさんは、radikoプレミアムでどんな番組をお聞きでしょうか。また教えて下さいね。


(4)在日外国人と・・・【伝えるってナンだ? 情報保障から考える】

「伝わるってナンだ? 情報保障から考える」の4回目です。4回目も前回に引き続き“在日外国人と情報保障”を対談形式で考えていきます。
前回はこんな話でした。

Chabin(以下、C):
戻らないと決めた日本に戻ろうとしたきっかけは?

神田すみれさん(以下、神):
台湾で知り合った、現在の夫が日本に一緒に戻ろうといってくれたからです。日本には戻る場所はないと思っていたので、自分の家にこればいい、自分の家だと思えばいい、と言ってくれたのは大きかったですね。彼は元々2年の留学の予定だったので、予定通り帰るということで。私も、このチャンスを逃したら一生日本に帰ることはできないだろう、もう一度日本で暮らすことにチャレンジしてみよう、と思ったんです。

C:
帰国してからはどうでした?

神:
大変でしたが、アメリカから戻ってきたときと比べると天と地です。物理的な居場所があるかないかは大きな違いでした。どこの誰かわからないような私を数ヶ月おいてくださった彼の両親にはいまでもとても感謝しています。

C:
しんどい時はしんどいもいえなくなります。きつかった時期を思い出しました。変に自分を過小評価したりしてたこともありました。

神:
うんうん、わかる、そのかんじ本当にしんどいときって、助けを求めることすらできなくなっちゃうんだよね。

C:
日本に帰って落ち着いてから、何を感じました?

神:
これからどうしようという不安、かな。自分が何をしたいのかもわからなかったですし。光のみえないトンネルにいた感じです。

C:
光のきっかけは?

神:
瀬戸市国際センターでのボランティアコーディネートの仕事が大きな転機でしたね。愛知万博の開催に合わせて、ホームステイ事業の運営をする仕事でした。仕事の内容は、ホストファミリーの募集や研修、ホームステイゲストの募集、ホストファミリーとゲストとのマッチング等でした。

C:
大変そう。

神:
それがとても面白かったんです。周りからも褒められることがあったりして。

C:
仕事とかタスクに取り組む時、周りの人の存在とか考え方ってものすごくおおきいんですよね。

神:
そうそう!このときはすごく助けられた。それまではなかった評価、海外での体験がマイナスではなく、プラスになったんです。そのとき、面白いなあと思いました。

C:
その仕事を経験してからの興味は?

神:
本当に関わりたいことを模索しはじめました。この土地でやっていく覚悟ができた、というか。
大学院とNたま(*)を同時に開始したんです。

C: 
大学院では、どんな研究を?

神:
「東海地域に暮らす外国人」です。
論文は結局、外国人支援に関わる人たちについて書きましたが。

C: 
あちらこちらに赴いたのでは?

神:
そうですね、高山のソムニードには毎月通いました。
他にもいろんな人にインタビューさせていただいたり。外国人医療センターでスタッフをしていたのもその頃ですね。外国人相談者が行政の相談窓口にきても、そのあとのフォローができないことが悩みでした。同じ時期に、仕事では出稼ぎ労働者、院ではアジア各国からの優秀な留学生と付き合うなかで、留学生に労働者の現状を知ってもらいたい、というおもいもあり県から助成金をもらって、同行通訳を派遣する活動をはじめました。

C:
悩みがつきないという感じですか?

神:
私の悩みではなく、社会制度、システムの悩み、ですね。このころから、私の個人的な悩みとは 別に社会システムをなんとかしたい、という想いがでてきたのでしょうね。

C: 
なにか変えるために考えはありました?

神:
なにもないです。いまも手探り、模索です。
出会った人の困りごとをその人だけの困りごとにしないこと。は意識しているかな。
わたし自身の困りごとも、きっとほかにも同じように困っている人がいるはず、という視点でその問題を解決することが大事だとおもっています。

C: 
その人だけのこまりごとにはしないように 具体的には?

神:
制度をつくったり、サービス化する、というかんじです。
院のときは、同行通訳を派遣する団体を立ち上げたりしました。
いまは、外国人に限りませんが、おせっかいプロジェクトという団体で、地域の人たちの困りごとの解決や相談にのるという活動もしています。

C: 
すみれさんの行動力すごいです。

Nたま(*)  
「次世代のNGOを育てるコミュニティ・カレッジ(NGOスタッフになりたい人のためのコミュニティ・カレッジ」の通称。将来、NGOスタッフとして活躍する意志のある方を対象にした半年間の研修プログラム。
特定非営利活動法人 名古屋NGOセンターが実施・運営をしている。

ここまでは、神田さんにフォーカスしました。話は佳境へと入っていきます。

この「伝わるってナンだ? 情報保障から考える」は毎月第3木曜の夕方に更新していきます。次回も在日外国人と情報保障について対談形式で考えていきます。

飯田線秘境号【午前編】

飯田線秘境号レポート2回目と言っても秘境号に朝からのるまでを。

当日が来た。名古屋駅についてとりあえず飯田から名古屋のJRきっぷを買おうと広小路口に行くが案の定みどりの窓口は開いてない。前日に調べても出てこない。仕方なく、中央コンコースのみどりの窓口にいく。とにかく時間がない。かといって時計をみる時間もない。無事きっぷは買えた。名鉄バスセンターにいき、きっぷも買えた。発車10分前。ふー。

おはようございます。飯田線秘境号当日です。朝から名古屋駅を走りまくりなんとかバスに乗れました。なにかやらかしてないかと緊張しまくりで家から持ってきたお茶がなくなりつつあります。今日もよろしくお願いします

iphoneをもって初めての遠出。radikoでラジオ聞いたりpodcast聞いたり、bluetoothで接続したキーボードを使ってメールしたり。快適だ。あっという間に恵那山トンネルを越え、飯田インターをおりた。

飯田市美術博物館に行く電気バスは10時飯田駅発。10時に飯田駅につけないということで乗務員さんに飯田市の地図を見ながら、いろいろきいてみる。

飯田着!


正面にリンゴの木

去年の秋以来だ。遠いのに、見慣れた風景。雨が心配だが、まあ午前はもつかな。コンビニで一休みして、自然博物館へむけて歩く。リンゴ並木を歩く。道の中央に遊歩道がある。歩いていて、気持ちいい。


サクラ?


もうすぐ美術博物館という時、サクラの木が目に入った。あと一週間早かったらという感じだった。その数日前NHKで高遠のサクラが見頃だと流れていたから、かなりがっかりしてしまった。まあそれ狙いじゃないしととぼとぼ歩いた。いかにも築年数がたったような小学校があった。飯田市の登録有形文化財の追手町小学校だ。1929年に建てられたらしい。美術博物館についた。つくなり、「11時から”飯田のサクラ”が上映されますよ。入ってください!」という声が聞こえるではないか。これはなんたる偶然とプラネタリウムに急いだ。歴史的な解説もされたが、残念ながらあまり覚えてない。とにかくきれいだった。報われた気分。飯田駅に行く電気バスは11時40分。


あと20分しかない。常設展示の「伊那谷の自然と文化」だけをみることにした。時代ごとのパネル展示。江戸時代に藩支配がころころ変わり入り乱れていたこと。人形浄瑠璃がさかんだったこと。なんでさかんだったかは、パネルではあまり詳しく触れられていなかった。そういえばと結びつくことがいくつか。飯田市で毎年人形劇フェスティバルが開催されている・中馬のおひなさま(足助)・飯田よりさらに南の地域に伝わる花まつりというまつり。なんだか関係がありそうだ。また調べてみたいテーマが増えた。


飯田自然博物館 伊那谷の歴史と文化 いろんなことがリンクしていく 。飯田線秘境号乗車まもなく


電気バスののりばについたのは、出発5分前。撮影タイム。


のんびりとオープンバスは走っていく。車や車に追い越されながら?。BGMは飯田のアイドル。いい感じだ。昼の場所は調べたが、いい感じの店を発見。いきなりおります宣言をしてなんとかおりました。

レポート3回目はいつになることやら。


(3)在日外国人と・・・【伝えるってナンだ? 情報保障から考える】

「伝わるってナンだ? 情報保障から考える」の3回目です。3回目は、“在日外国人と情報保障”を対談形式で考えていきます。

Chabin(以下、C):
お願いします。まず、自己紹介をお願いします。

神田すみれさん(以下、神):
15歳で交換留学生として渡米。大学卒業後、日本へ帰国するが浦島太郎状態。その後台湾で中国語を学ぶ語学学校へ通いながら、現地の学校で日本語教師として勤務。現在は名古屋外国人雇用サービスセンターで日系人就労支援ナビゲーター・相談員として勤務しています。

浦島太郎状態

C:
留学から帰国後の浦島太郎状態ってどういうことを感じたのですか?

神:
なんのつながりもなく、知り合いもいない。私が暮らしていたころとは、社会状況も周りも変わってしまっていた、という感じです。

C:
人とのつながりと社会状況 どちらのダメージが大きかったですか?

神:
両方ですね。でもつながりがないこと、かな。さみしかったですね。まずは仕事さがし、と思っても、なにをどうしていいかわからない。誰にきけばいいのかがわからなかったです。社会とまったくつながっていない、というさみしさも強かった。

C:
そんなことがどれくらい続きました?

神:
帰国して台湾へ出国するまでずっとでした。荷物全部もって引っ越して。もう日本には戻らない、と決めていましたね。

自分たちの居場所

C:
台湾での生活はどうでした?

神:
とても楽しかったです。日本人が多くて、すぐに友達ができました。みんな海外というか、日本社会から離れている生活なので、所属も仕事もなく、お互いにすぐ仲良くなりました。

C:
台湾での一番の思い出はなんです?

神:
難しいですね。台湾での生活は大きく分けて二つあって。前半は、語学学校で日本人のともだちがたくさんできたこと。毎日日本人みんなでご飯をたべたり、夜中に大学のキャンパスでおしゃべりしたり、ビリヤードをしたり。それが一番の思い出。もう一つは仕事をはじめてから。台湾人の語学学校の学生のみなさんと夜、屋台でご飯をたべたり、ナイトマーケットに繰り出したり、カラオケに、行ったり。

C:
大学のサークルのことを思い出しました。サークルの部屋いくとマンガを読んでいる人がいたり・・・。

神:
そういう空間や時間って、実はなかなかないんですよね。貴重だとおもいます。

C:
いったん社会に出ちゃうと。

神:
ですね。


夜 細い階段道 両側にはピンクの提灯 千と千尋の神隠しのモデルかといわれた場所のひとつ

台湾・九份


まだまだ対談は続きます。「人と人とのつながりってものすごくささいなもので満たされるんだなぁ。」と日々感じています。だけども・・・というところについても来月触れます。

この「伝わるってナンだ? 情報保障から考える」は毎月第3木曜の夕方に更新していきます。次回も在日外国人と情報保障について対談形式で考えていきます。