チャリティーミュージックソン2024を聞いて

クリスマスもあっという間に当日の4時です。
クリスマスといえば、チャリティーミュージックソン。
10年前のここの時間はタスク度返しで夢中でブログを立ち上げてました。懐かしいです。
https://bit.ly/3VU5bV6
そんな回顧でここに書き込もうとおもってはないのです
よかったら1時間耳を貸してください。余裕があれば。
視覚障害者が起業した(?)話です。1時間程度。
基本 言葉についてです。できていないこと自分も多いです。アクセシビリティ・説明・詩・俳句などなど・・・
24時間全国各局のんびりときいてました。ぼんやりとした今年のテーマは「言葉」だったのかなと思いました。
2024  第49回  ラジオ・チャリティ・ミュージックソン
| OBCラジオ大阪 | 2024/12/24/火  19:45-22:00
https://radiko.jp/share/?sid=OBC&t=20241224195954


tes


首里城

今日は沖縄本島で地上戦が終わったとされる6月23日、沖縄慰霊の日。昨年10月に火災に遭った首里城。自分は3度訪ねている。

1度目 - 高校の修学旅行で。


19年も前になる。出発前沖縄に台風が来る予報があり、直前まで修学旅行自体の中止の連絡を待ったが電話はなかった。名古屋空港から飛んだ沖縄・那覇の空は青かった。首里城に向かうバスで、ガイドさんが沖縄民謡の「安里屋ユンタ」(あさどやゆんた)を歌ってくれた。守礼門から上り正殿についても、空は青かった。それ以降修学旅行で青い空を見ることはなかった。雨がやんだ次の記憶は、最終日の国際通りだった。大雨と暴風で予定は崩れた。その時名古屋は東海豪雨だった。


2度目 - 友人と

「沖縄に行こうぜ」といって大学時代の友人と行った。修学旅行の時には工事中だった沖縄モノレールに乗って。守礼門の手前に小学校があることに気がつく。正殿に向かって太陽を背に登っていく。登った先には日にくれかかった正殿があった。ガイドツアーに参加することにした。参加者はうちらともう一人。うちらは2人共障害があり、ツアーの説明は自然とゆっくりになった。そんなツアーに根気強く付き合ってくれた。これも大切な首里城の思い出だ。


真っ赤な正殿

3度目 - 家族と

沖縄本島をレンタカーでゆっくり巡った。入り江でゆっくりして城跡をみて、これまた夕方首里城についた。守礼門の手前の小学校の味があった門は新年度に向けて付け替えの工事中だった。正殿を見終わって石畳をゆっくり下っていったのが印象に残っている。

沖縄に行くときは、いつも自分以外の誰かが「沖縄に行こう。」と提案してくれ、時間をかけて行くところをねっていた。守礼門をくぐって坂を登ればいつも眩しいほどの真っ赤な正殿があった。それが「沖縄に来た。」と実感できるひとときだった。いろいろな歴史をくぐり抜けてもなお、そびえ立つ真っ赤な首里城に「エネルギーをもらいに行く。」という感覚に、行くたびになってきた。

火災のニュースを聞いたときは、力が抜けてしまった。もしも願いが叶うなら、再建後また沖縄に行き真っ赤な首里城をみたい。

この間にツイートしたもの
小説 「宝島」を読んで (真藤順丈さん作)
https://twitter.com/chabin_desuga/status/1222801596897054720
https://twitter.com/chabin_desuga/status/1226032038588715009


Mint Condition

またラジオ局の閉局をテーマにしたエントリーを書くとは思わなかった。ちょうど10年前のことだったらしい。自分のエントリーが静かに教えてくれた。

愛知のRadio NEOと新潟のFM PORTが今月6月末で閉局らしい。

FM PORTのMint Conditionはほぼ毎日聞いていた。「いつでも、生まれたてのようにフレッシュで正直な自分でいるために・・・」というコンセプトが好きで毎日聞くようになったと思う。

お昼ちょっと食べて、スマホをセットすればいつも立石さんが喋ってた。その声を片耳にいつも本を読むのが何よりの習慣だった。時刻も小刻みにアナウンスしてくれた。よく沖縄の竹富島の話をされたり、佐渡の話をされたり。

立石さんのMint Conditionが終わったら、佐藤智香子さんのfour seasons。気持ちよく昼の余韻に浸っていた。

あと、3週間。

ちょっと休んでまた本読みを再開したい今日この頃だ。