首里城

今日は沖縄本島で地上戦が終わったとされる6月23日、沖縄慰霊の日。昨年10月に火災に遭った首里城。自分は3度訪ねている。

1度目 - 高校の修学旅行で。


19年も前になる。出発前沖縄に台風が来る予報があり、直前まで修学旅行自体の中止の連絡を待ったが電話はなかった。名古屋空港から飛んだ沖縄・那覇の空は青かった。首里城に向かうバスで、ガイドさんが沖縄民謡の「安里屋ユンタ」(あさどやゆんた)を歌ってくれた。守礼門から上り正殿についても、空は青かった。それ以降修学旅行で青い空を見ることはなかった。雨がやんだ次の記憶は、最終日の国際通りだった。大雨と暴風で予定は崩れた。その時名古屋は東海豪雨だった。


2度目 - 友人と

「沖縄に行こうぜ」といって大学時代の友人と行った。修学旅行の時には工事中だった沖縄モノレールに乗って。守礼門の手前に小学校があることに気がつく。正殿に向かって太陽を背に登っていく。登った先には日にくれかかった正殿があった。ガイドツアーに参加することにした。参加者はうちらともう一人。うちらは2人共障害があり、ツアーの説明は自然とゆっくりになった。そんなツアーに根気強く付き合ってくれた。これも大切な首里城の思い出だ。


真っ赤な正殿

3度目 - 家族と

沖縄本島をレンタカーでゆっくり巡った。入り江でゆっくりして城跡をみて、これまた夕方首里城についた。守礼門の手前の小学校の味があった門は新年度に向けて付け替えの工事中だった。正殿を見終わって石畳をゆっくり下っていったのが印象に残っている。

沖縄に行くときは、いつも自分以外の誰かが「沖縄に行こう。」と提案してくれ、時間をかけて行くところをねっていた。守礼門をくぐって坂を登ればいつも眩しいほどの真っ赤な正殿があった。それが「沖縄に来た。」と実感できるひとときだった。いろいろな歴史をくぐり抜けてもなお、そびえ立つ真っ赤な首里城に「エネルギーをもらいに行く。」という感覚に、行くたびになってきた。

火災のニュースを聞いたときは、力が抜けてしまった。もしも願いが叶うなら、再建後また沖縄に行き真っ赤な首里城をみたい。

この間にツイートしたもの
小説 「宝島」を読んで (真藤順丈さん作)
https://twitter.com/chabin_desuga/status/1222801596897054720
https://twitter.com/chabin_desuga/status/1226032038588715009


沖縄について見聞きしたこと

毎年6月になると、そわそわする。沖縄戦が事実上終結されたとされる「沖縄 慰霊の日」が6月23日だからだ。その「沖縄 慰霊の日」の存在を自分が初めて知ったのは高校生のとき。修学旅行の行き先が沖縄に決まり、その事前学習の中でだった。

先日ピースあいちに初めて行き、「2016年沖縄展 辺野古から沖縄・日本を考える」をみてきた。ピースあいちでは毎年この時期に沖縄に関する展示をされているそうだ。琉球王国のこと、沖縄のこと、辺野古のことが丁寧に説明されていてわかりやすかった。その展示の中で、琉球王国もまた日本が清と貿易をしたいがため、その足掛かりに利用されたということ・沖縄が日本に返還されたときに日本本土から多くの米軍基地が沖縄に移設されたことを初めて知った。

radikoプレミアムが始まり、琉球放送が聞けるようになった。気が付いたときは聞いているが、今年も6月23日の慰霊の日はほぼ琉球放送を聞いていた。その中でこんなメッセージが紹介されていた。

「沖縄の人たちは誰でも必ず親族が戦争でなくなっているんですね・・・」

名古屋市だったら、鶴舞中央図書館にいくと琉球新報が読める。以前読んだことがある。同じことを書いているのに、全国紙とは全然違う書き方をしているし、自分でも思いつかない論考だなという箇所が多かった。

もし、自分たちの行動範囲に米軍基地があったとしたら・・・。

そういう想像を続けていくことで、見えてくるものがあると思う。

来年の6月は、どのような心境で迎えるのだろうか。