終わってしまった。24時間は長いようで短い。ニッポン放送発で全国のラジオ局で自主実施されている「ラジオ・チャリティー・ミュージックソン」が終わって2時間が経った。いろいろなことを思い出したので今こうしてブログに残そうとしている。
第40回目の「ラジオ・チャリティー・ミュージックソン」
そもそもミュージックソンって何と言われる方も多いと思う。視覚に障害のある人でも安心して外出できるように、全国にある信号機を音声信号機にしようという目的のもとでニッポン放送が40年前から始めた企画だ。今年は全国各地11局で放送された。今年のニッポン放送のパーソナリティは上戸彩さんと上柳昌彦アナウンサー。視覚に障害がある人に関するエピソードを上戸さんが朗読しそのエピソードにあう音楽をアーチストが生で歌う形式で24時間つないだ。
2006年も、上戸彩さんと上柳アナのコンビで24時間放送された。あの時の記憶も昨日のように覚えている。あれから9年もたったのですね。
自分とチャリティーミュージックソン
2006年の放送は、よく覚えている。名古屋に住んでいるのだが、毎年毎年2chなどあの手この手を使いながら、ミュージックソンを追っていた。ニッポン放送がネット配信でやっていた時代、ネットでは別編成で「デジタル・ラジオ・ミュージックソン」とかやっていたのも覚えている。radikoプレミアムが今年できて初めてこそこそしないで「チャリティー・ミュージックソン」が聞けるようになった。
さっき流れた内田有紀さんのオープニング覚えているな 家族と伊豆に行ってその帰り帰るまでずっと雑音といたちごっこできいてたな
まだ自分がラジオを聞き始めた頃、この時期に家族で伊豆に行ってた。放送で「チャリティー・ミュージックソン」を知り伊豆からずっと名古屋に帰るまでずっときいていたというのが自分とチャリティー・ミュージックソンとの出会いだった。
時は流れに流れた。「チャリティー・ミュージックソン」という言葉すら忘れていた時期もあったかも知れない。毎年毎年ニッポン放送のページに行ってパーソナリティの名前を確認しては終わりの年もあったはず。大学に入ったら、全盲のヨッシーがいた。いつも一緒に自分の至らぬとこをフォローしてくれた。そんなことがあって同時にインターネットの常時接続が当たり前になってきて名古屋にいながら「チャリティー・ミュージックソン」の放送を聞くようになった。
24時間ずっと、パーソナリティがマイクの前でしゃべっている。昔話だったり視覚障害者が置かれている環境だったり。時にたのしく笑って、時にしんみりしたり。あんなことを思い出したり、こんなことを思い出したり、自分の中でもいろいろなことを思い出せた今回の放送だった。中身のないエントリーになってしまった。伝え手、聞き手はある。それ以上にを1日なりパーソナリティ発表から募金募集終了までの3ヶ月で何か1つのものをみんなで共有していくものなんだと今回感じた。今回は、「声かけ」だった。
来年も、平和で元気に楽しく聞けますように。