がんばりましょう

SMAPさんの『がんばりましょう』が出たのが、小学校高学年だった。朝の会で歌ったり、テレビで見たり。あのころはあのころでいろいろあった。でも、毎朝の『がんばりましょう』でどこか今とは全く違うものを思いながら、毎日過ごしていた。忘れてたり、覚えていたり。

時は流れて、ちょうど大学生のころだったと思う。曜日によっては、大学に昼から行く日もあった。そんな朝はワイドショーを見ながら、朝の支度をしてた。テレビ朝日系列のスーパーモーニングがかかってた。その頃もとにかくいろんなことがあったんだろうけど、あまり覚えてない。その頃のニュースと尋ねられたら、小泉劇場とか郵政民営化とかしか答えられない。

きっと今のように、毎日いろんなことがあって、それをこんこんとスーパーモーニングでも流していたんだろうなと。

その頃のスーパーモーニングのキャスター 渡辺宜嗣さんは「がんばりましょう」と毎朝番組をしめていた。それだけが今でも昨日のように焼き付いている。

いろいろなことはあるけど、がんばりましょう。渡辺さんは毎朝そんな感じで気持ちを込めて「がんばりましょう」と言ってたんだと思う。

今年も、あと一か月。また月曜です。
がんばりましょう。


「行き着く先はどこなんだ? 」

こちらのブロクでは、お久しぶりです。こことは別にアメブロで月1で更新しているブログがあります。先月8月は、安保法案の議論から話をはじめました。記録として残しておきたいので、こちらのブログでも書いてみます。

エントリー内でも少しふれましたが、7月あたりからの国会での議論。ただ、反対とか廃案を叫ぶ前に、国会での議論を見守って新聞をきちんと読むことを心がけました。

その結果、ただそのことにしか興味・関心がいかないようになりました。なにか大きな敵に立ち向かうことが生きることのすべてみたいな。そういう思いを客観的に見れた時があったんですよ。客観的に見れて自分の思考の怖さ・恐ろしさにも気がつけました。こういうことが戦争につながっていくんだと自分の中で確信しました。

行き着く先はどこなんだ? - Chabinのひとりごと


チャリティー・ミュージックソン2014

終わってしまった。24時間は長いようで短い。ニッポン放送発で全国のラジオ局で自主実施されている「ラジオ・チャリティー・ミュージックソン」が終わって2時間が経った。いろいろなことを思い出したので今こうしてブログに残そうとしている。

第40回目の「ラジオ・チャリティー・ミュージックソン」

そもそもミュージックソンって何と言われる方も多いと思う。視覚に障害のある人でも安心して外出できるように、全国にある信号機を音声信号機にしようという目的のもとでニッポン放送が40年前から始めた企画だ。今年は全国各地11局で放送された。今年のニッポン放送のパーソナリティは上戸彩さんと上柳昌彦アナウンサー。視覚に障害がある人に関するエピソードを上戸さんが朗読しそのエピソードにあう音楽をアーチストが生で歌う形式で24時間つないだ。

2006年も、上戸彩さんと上柳アナのコンビで24時間放送された。あの時の記憶も昨日のように覚えている。あれから9年もたったのですね。

自分とチャリティーミュージックソン

2006年の放送は、よく覚えている。名古屋に住んでいるのだが、毎年毎年2chなどあの手この手を使いながら、ミュージックソンを追っていた。ニッポン放送がネット配信でやっていた時代、ネットでは別編成で「デジタル・ラジオ・ミュージックソン」とかやっていたのも覚えている。radikoプレミアムが今年できて初めてこそこそしないで「チャリティー・ミュージックソン」が聞けるようになった。

さっき流れた内田有紀さんのオープニング覚えているな 家族と伊豆に行ってその帰り帰るまでずっと雑音といたちごっこできいてたな

まだ自分がラジオを聞き始めた頃、この時期に家族で伊豆に行ってた。放送で「チャリティー・ミュージックソン」を知り伊豆からずっと名古屋に帰るまでずっときいていたというのが自分とチャリティー・ミュージックソンとの出会いだった。

時は流れに流れた。「チャリティー・ミュージックソン」という言葉すら忘れていた時期もあったかも知れない。毎年毎年ニッポン放送のページに行ってパーソナリティの名前を確認しては終わりの年もあったはず。大学に入ったら、全盲のヨッシーがいた。いつも一緒に自分の至らぬとこをフォローしてくれた。そんなことがあって同時にインターネットの常時接続が当たり前になってきて名古屋にいながら「チャリティー・ミュージックソン」の放送を聞くようになった。

24時間ずっと、パーソナリティがマイクの前でしゃべっている。昔話だったり視覚障害者が置かれている環境だったり。時にたのしく笑って、時にしんみりしたり。あんなことを思い出したり、こんなことを思い出したり、自分の中でもいろいろなことを思い出せた今回の放送だった。中身のないエントリーになってしまった。伝え手、聞き手はある。それ以上にを1日なりパーソナリティ発表から募金募集終了までの3ヶ月で何か1つのものをみんなで共有していくものなんだと今回感じた。今回は、「声かけ」だった。

来年も、平和で元気に楽しく聞けますように。


(1)プロローグ 【伝えるってナンだ? 情報保障から考える】

自分には肢体障害がある。小学校に入る前からワープロを使っていた。筆記が遅く、それをワープロなりパソコンが障害をある程度カバーしてくれている。高校3年からは、ワープロで授業のノートを取り始めた。では、他の障害をもつ人は?大学で情報と福祉の両方を学びたいと思い、そういう学部・学科に入ることができた。

入った学年には、肢体・聴覚・視覚に障害がある学生がいた。この年から、その学部初の講義中の情報保障(知る権利を保障すること)がはじまった。講義中の情報保障を紹介すると、聴覚に障害がある学生に対しての、講義中の教授の言葉を書き取る<ノートテイク>・視覚に障害がある学生に対しての板書を読み上げる<リーディングサービス>などがある。ノートをパソコンで作っていた自分は、視覚に障害がある学生にノートをメールなどで後日送っていた。スクリーンリーダーというソフトを入れれば、パソコン画面の文字情報を読み上げてくれる。こうした場面を日常的に見ることで、障害をパソコンがカバーする可能性を体感できた4年間だった。

卒業後いくつかのホームページ制作や運営に関わった。その中で、もちろんWEBアクセシビリティーにも配慮してきたつもりだ。でも、年々WEBアクセシビリティー特に画像に対して文字情報をつけるalt属性の文章を考えるのが、自分の中で雑になってきたなあと思った時がある。大学時代に日々感じてきたことを忘れているなあと思うわけである。

そんなことを考えていたら、去年放送された<聞いて聞かせて ブラインド・ロービジョンネット>で澤村祐司さんと穴澤雄介さんが、「車で移動すると、どこまでも同じ音だから地理感が分からない。電車だと、鉄橋もあるし停車する駅を順番に言ってくれるから、地理感が持ちやすい。」と対談されていたことを思い出した。



聴覚に障害がある人も視覚に障害がある人も電車内での睡眠には、人一倍気を使うそうだ。起きた時、自分がどこにいるかがわからなくなるというのがその理由らしい。自分もよく電車で乗り慣れてない場所に行くことがある。電車ですっと寝てしまい、起きた時降りる駅を過ぎていないかひやりとしたことがある。

情報というものは、一度知ってしまえばなんてことはないことがほとんどだ。その情報取得の場面で、何かしらの差しさわりを抱えている人もいる。この連載ではそうした側面から、「伝える」について考えていきたいと思っている。

この「伝わるってナンだ? 情報保障から考える」は毎月第3木曜の夕方に更新していきます。次回は、障害のある人と情報保障について対談形式で考えていきます。

赤い電車

名鉄瀬戸線でもう“赤い電車”が走らなくなるらしい。本線ではまだ走るらしいが。ネットとかラジオでそんなことを見たり聞いたりした。

調べてみるともう1編成しか走っていないとのこと。運行時間は当日の朝大曽根駅に電話してとのこと。まあ電話しなくてもなんとかなるだろうと大曽根駅にいってみた。聞くと15分後に栄ゆきとしてくるとのこと。

乗る前

赤い電車が終わるんだったら、シルバーの電車ばっかしになる。せっかくだ。撮ろう。




乗った後


大曽根を出て栄に向かって走る。初めて一人で栄に出た時も赤い電車に乗った。流れる風景にわっと思い出した。毎週聞いていた夜のローカルラジオ番組で話している人が今はなき日産ギャラリーでしゃべっている。見に行きたい。意を決して初めて栄に名鉄瀬戸線でいった。あれから15年。そんなに経つんか・・・。あっという間に地下に潜る。

平日昼間なのに、老若男女が車体をとる。駅の用務員も混じって。



折り返し

普段電車にのるときは、ポケットラジオを聞くがなんか気がのらない。視線はいつものケータイに。いつものように自分にしかわからないツイートをする。

瀬戸

アピタ瀬戸店で記念の写真展をやっているそうでいってみた。(4/13まで 2階)



帰り



3月最後の金曜日の瀬戸電。部活・サークル帰りと思われる学生・サラリーマンさんそれと赤い電車を偲んで乗っている人たち。年度末という感じ満載だった。聞こえてくるラジオからも年度末がらみのニュース。ツイッターをチェックしているとあっという間に尾張旭・大曽根を越え栄についた。


ついた後

1回目の折り返しよりも撮影業者はおおい。
ありがとう 赤い電車

君住む街へひとっ飛び
赤い電車でひとっ飛び
(赤い電車 - くるり より)