Mint Condition

またラジオ局の閉局をテーマにしたエントリーを書くとは思わなかった。ちょうど10年前のことだったらしい。自分のエントリーが静かに教えてくれた。

愛知のRadio NEOと新潟のFM PORTが今月6月末で閉局らしい。

FM PORTのMint Conditionはほぼ毎日聞いていた。「いつでも、生まれたてのようにフレッシュで正直な自分でいるために・・・」というコンセプトが好きで毎日聞くようになったと思う。

お昼ちょっと食べて、スマホをセットすればいつも立石さんが喋ってた。その声を片耳にいつも本を読むのが何よりの習慣だった。時刻も小刻みにアナウンスしてくれた。よく沖縄の竹富島の話をされたり、佐渡の話をされたり。

立石さんのMint Conditionが終わったら、佐藤智香子さんのfour seasons。気持ちよく昼の余韻に浸っていた。

あと、3週間。

ちょっと休んでまた本読みを再開したい今日この頃だ。


栄ミナミ音楽祭 2018

以前は、栄ミナミ音楽祭に行ったときのことを毎年のようにブログに書いてた。最終の栄ミナミ音楽祭のエントリーが2013年。行けなかった年ももちろんあった。今回は1日目のみ参加。このシリーズのエントリーを思い出したかのように、また書いてみたい。過去の栄ミナミ音楽祭

奥華子さん

アスナル金山で。朝はちょっと寒かったけどもう汗ばむ陽気。びっしりのお客さん。開始時間に遅れてしまった。最後の“Mother”で翌日が母の日だと気がつく。反省・・・。

間慎太郎さん

間寛平さんの息子さん。ツイッターで知ってたけど歌を聞くのは初めて。乾いた感じがよかった。

金山といえば、豆天狗という言葉が頭に加わったのはつい最近。セントレアにあってびっくりしたという。インスタに上げたら以前豆天狗で上げたときとハッシュタグがにかよってた。不覚だ。しばらくこのブーム続きそうで。あっサウンドベイってこの辺にあったんだね。昔はよくこのへんきてたんだいってたんだけど見落としてました。今度いきたいです。

コバヤシサン

お名前にひかれて聞きに行くことに。高原の高速道路をはしっているような澄んだ声だった。歌詞が入ってこない。きっと何かに疲れていたのだろう。癒やされた。

どうしよう。

拝郷メイコさんのライブまでまだ時間がある。どう過ごそう。コーヒータイムと決めてからの足の軽いこと。軽いこと。大津通のホコ天をゆうゆう歩く。ちょっと休む。

拝郷メイコさん

休んだあと、100メートル道路の高架下で。知り合いが好きだった。あれから15年あまり。当時の話もしていた。タイムスリップした気持ちだけど、もうそこに帰る方法はない。これからだよとよく言われるけど・・・。よかった。

#ハッシュタグ

ユニット名がすべてをかたってる。ノリノリの男性ユニット。振りもあってみんなノリノリ。うしろのほうできいてた。

矢場公園

最後にちょっと矢場公園の空気をすいたくなった。Jammin'Zebというユニット。男性の澄んだ声。土曜の夕方、ゆるやかな時間があいかわらず流れている。ああ満喫できた。また来年。

帰ってから。

過去の自分のエントリーを見返してたんだと思うのだが、まだ日本語でハッシュタグがつぶやけなかったころは"#sakakon"でつぶやいてたなあと。変わった!と思ったときからも時は流れているんだなと。


動かない旅

1か月あいてしまいました。ネタはあったんですが…。その時その時で書けるネタ・アウトプットできるネタはゆったりと変わってきますね。

番組の存在は知っていたのですが、ここ1か月で聞き始めてはまりつつあるラジオ番組があります。"antenna* TRAVELLING WITHOUT MOVING "です。パーソナリティーの野村訓市さんの豊富な旅の経験からの考察や、リスナーからの旅の思い出とその時聞いていた音楽をリクエストとして流す構成です。

あちらこちら歩いて乗って・・・。そうするとその時々で聞きたくなる曲がかわってくるなと回数を重ねるたび思います。今はiphoneなんていうおもちゃがあってその中に音楽も入れれる。国内だと聞きたくなったときにyoutbeなんかの検索窓に思ったままの言葉を入れるとそれらしい音楽が聴ける。ところがだ、海外行くとローミングを契約していない限り、どこでもネットというわけにはいかない。一応旅先でききたくなるであろう曲もiphoneにパッキングしていくわけであるが、意図しないときに意図しない曲が浮かぶ。だから、ローミング契約すればいいじゃんとかなるが、そのくらいの不自由さは楽しもうよという感じ。(ここ不安・・・)まあ携帯ラジオもってけば地元のラジオは楽しめるわけで。

"antenna* TRAVELLING WITHOUT MOVING

自分がリアルでしたいことの1つが番組になっているのかなと。相手が旅をしたら、自分が印象に残ったところとそこでのどんなことを考えたかとその時思い浮かんだ曲が聴けたら、なんとなく自分の中に相手が何を考えているとかが、すとんと落ちるような気がする。よくばりですね。この番組ではそれをくるんでくれている気がする。

さあ、また動くとする。

antenna* TRAVELLING WITHOUT MOVING  タイムフリーで1週間聞けるけど、お好きな時間でどうぞ。
EVERY SUNDAY
NOTHWAVE(札幌) 21:00-21:54
J-WAVE(東京)・ZIPFM(名古屋) 20:00-21:54
FM802(大阪) 24:00-24:54
CROSSFM(福岡) 23:00-23:54


京都音博 2015

京都音博に行ってきた。おととし 2013年以来2回目だった。見てないアーチストもいるが、わすれないようにアーチストごとで振り返ろうと思う。

木村カエラさん

梅小路公園について入場ゲートをくぐる前からサウンドチェック(?)が聞こえてきた。とても元気そう。1曲目の"EGG"がとても胸に響いた。

indigo la Endさん

考えさせられる歌詞。これからチェックだ。

八代亜紀さん

途中から聞けた。何話したとか思い出せないんだが、観衆に向けた問いかけがとにかくかわいい。着物姿、スポットライト、豪華なステージに囲まれた中でのおちゃめなMCはたまらなかった。今回の大きな目的だった舟唄が聞けて満足。普段の日曜日とは違う突き抜けられ方ができてよかった。

アントニオ・ロウレイロさん

八代亜紀さんで全エネルギーを使って場面転換の40分たっても言えなかった。流れてくる英語詞を流し聞き。歌詞の意味なんて当然わからない。全演奏が終わった時、一枚の絵を見終わったような感覚がきた。

くるりさんへの転換

アントニオ・ロウレイロさんの演奏が終わってから、周りが忙しくなってきた。それまでのホールとは違った雰囲気。引き締まってきた。会場の空気の張り詰め感がはんぱない。ゆっくりゆっくり張り詰めていく。

くるりさん

そんな張り詰め感がゆっくりだけど一曲一曲で溶けていく。去年ZEPP NAGOYAでゆっくりくるりさんのライブをみた時とまったく違う感覚で、一曲一曲いろんなことを考えながら聞いてた。「イルカショーをみながらステージがやれるのはここ(梅小路公園)だけ」とindigo la EndさんもMCされていた。イルカが飛ぶたびに振り返って。そんな一日だった。“ペンギンさん”が聞けた時、その一日を振り返れて、ほっとできた。

月の動き

午後中、梅小路公園にいた。月の出から夜空になるまでちゃんとみた。ちゃんとみたというのははじめてだと思う。月ってこういうふうに出てこういうふうにあがって、気がついたらこういうふうに照らしてくれるんやなあと。


チャリティー・ミュージックソン2014

終わってしまった。24時間は長いようで短い。ニッポン放送発で全国のラジオ局で自主実施されている「ラジオ・チャリティー・ミュージックソン」が終わって2時間が経った。いろいろなことを思い出したので今こうしてブログに残そうとしている。

第40回目の「ラジオ・チャリティー・ミュージックソン」

そもそもミュージックソンって何と言われる方も多いと思う。視覚に障害のある人でも安心して外出できるように、全国にある信号機を音声信号機にしようという目的のもとでニッポン放送が40年前から始めた企画だ。今年は全国各地11局で放送された。今年のニッポン放送のパーソナリティは上戸彩さんと上柳昌彦アナウンサー。視覚に障害がある人に関するエピソードを上戸さんが朗読しそのエピソードにあう音楽をアーチストが生で歌う形式で24時間つないだ。

2006年も、上戸彩さんと上柳アナのコンビで24時間放送された。あの時の記憶も昨日のように覚えている。あれから9年もたったのですね。

自分とチャリティーミュージックソン

2006年の放送は、よく覚えている。名古屋に住んでいるのだが、毎年毎年2chなどあの手この手を使いながら、ミュージックソンを追っていた。ニッポン放送がネット配信でやっていた時代、ネットでは別編成で「デジタル・ラジオ・ミュージックソン」とかやっていたのも覚えている。radikoプレミアムが今年できて初めてこそこそしないで「チャリティー・ミュージックソン」が聞けるようになった。

さっき流れた内田有紀さんのオープニング覚えているな 家族と伊豆に行ってその帰り帰るまでずっと雑音といたちごっこできいてたな

まだ自分がラジオを聞き始めた頃、この時期に家族で伊豆に行ってた。放送で「チャリティー・ミュージックソン」を知り伊豆からずっと名古屋に帰るまでずっときいていたというのが自分とチャリティー・ミュージックソンとの出会いだった。

時は流れに流れた。「チャリティー・ミュージックソン」という言葉すら忘れていた時期もあったかも知れない。毎年毎年ニッポン放送のページに行ってパーソナリティの名前を確認しては終わりの年もあったはず。大学に入ったら、全盲のヨッシーがいた。いつも一緒に自分の至らぬとこをフォローしてくれた。そんなことがあって同時にインターネットの常時接続が当たり前になってきて名古屋にいながら「チャリティー・ミュージックソン」の放送を聞くようになった。

24時間ずっと、パーソナリティがマイクの前でしゃべっている。昔話だったり視覚障害者が置かれている環境だったり。時にたのしく笑って、時にしんみりしたり。あんなことを思い出したり、こんなことを思い出したり、自分の中でもいろいろなことを思い出せた今回の放送だった。中身のないエントリーになってしまった。伝え手、聞き手はある。それ以上にを1日なりパーソナリティ発表から募金募集終了までの3ヶ月で何か1つのものをみんなで共有していくものなんだと今回感じた。今回は、「声かけ」だった。

来年も、平和で元気に楽しく聞けますように。