2ページ目 | 思いだしたこと

「かぐや姫の物語」を見てきました。

映画「かぐや姫の物語」を見てきました。見に行く日の上映時刻を調べると一日一回上映と公開終了が近いなという感じでしたのでいそいで見に行きました。

見に行ってよかった

見終わって家に帰ってもご飯食べても寝てもずっと残像が脳裏にありました。映画でこんな体験したことはいままでなかったです。

ストーリー

竹から生まれた(?)かぐや姫は、“捨丸兄ちゃん”たちと野山を駆けまわる中で成長していく。かぐや姫自身、その生活がとても好きだった。でも、父親的存在翁が高雅な暮らしをかぐや姫に送ってもらいたいと思いが都に移りすむが・・・。

親になること・育てるということ

かぐや姫が月に帰る時にかぐや姫と翁夫婦が泣いて別れを惜しんでいました。子どもを思う親の気持ちってすごく強いものなんだろうなと。子どもといろんな体験をして、時には向き合って。自分は親になったことがないので、こういうことを考えたことがあまりありませんでした。

幸せってなんだろう

見終わってすぐ思ったのがこれ。高雅な暮らしを送ること?高雅(気高く優雅なこと。上品でみやびやかなこと。)とか豊かといってもアバウトすぎますね。そこそこの暮らし?何をもって豊かとかそこそこの暮らしとかいうのは人によって違うはず。人がうらやむ暮らしをしていても本人が満足感をもって暮らしていなきゃそれは幸せなのか・・・。

こんなツイートが以前流れてきたことを思い出しました。

幸せは遠くにあるものではなく、ここにあるものですね。

何度もそんなことをくぐり抜けてきたのに、いざというときにそれが見えなくなったり忘れるんですね・・・。

原作もよみたいとおもいました。

最後に

こんなことを考えながら、SMAPの3曲を連想しました。
歌詞を。
どんないいこと
peace!
さかさまの空


一瞬の快適さ

高校とか大学のころ、
「仕事って商品とかサービスを受ける人の
“一瞬”の快適のためにつくすものなのかな」
とかぼんやり考えていたなと。

その一瞬って本当にささいなもんだと思う。

食べ物屋ではお客は食べて一息つく程度だけだけど、
店の人は配膳とか片付けとか時には調理をする。

一つのものを出すのにどれだけ時間が
かかってもお客さんにとっては
そんなんお構いなし。

そんなんが仕事なんだと
学生時代に思ったことがある。
どういう思考過程をへてかは覚えてないけど・・・。

そんなこと考えてたことなんてどっかに
わすれてぐいぐい進んでいったんだと思う。

実際にいろんなタスクをやってみたり、
その上でサービスを受けてみたり。

いかに一瞬の快適さを提供するということが難しいのか。

逆にものすごく親切にされたり
おいしかったりしたらものすごく
うれしいなと思ったり。

それを裏返して
「どうしてあんなサービスが提供できるのか」
とか考えてみたり。


桃源郷  愛岐トンネル群

ライブがおわって昔国語で出てきた「桃源郷」という言葉を思い出した。理想郷・ユートビア・・・・どうやら中国の古典らしい。

前々から気になっていた「愛岐トンネル群」に行ってきた。



1900(明治33)年、中央線の名古屋・多治見間が開通し以後1966(昭和41)年に廃線。2005年(平成17)年勝川駅高架化で赤レンガを再生しようという動きがあり、2008(平成20)年から春と秋の2回一般公開が始まる。
(パンフ抜粋)

高校生の時、聞きかじるように聞いていたドリアン助川さんのラジオ。そのドリアンさんが愛岐トンネル群でライブをやるとのことで居ても立ってもいられなかった。

定光寺駅で降り、急で狭い階段を登り受付を済まし、石ころ道を進む。ただ1歩先を歩くので一生懸命。自分にとってはハイキング以上登山未満。まさに生きるのに一生懸命。

30分強はあるいただろうか。ようやくライブの受付会場についた。ああ疲れた。受付の人にすかさず「椅子ありますよね?」と。「あります」の言葉に安心。

またトンネルに入る。あともう少し。言い聞かす。

朗読ライブ

前半は、ドリアンさんが90年代にカンボジアに取材に入った時目にした光景を、後半は去年放射線線量計をもって奥の細道の足跡を旅した模様を。いづれもトンネルに写真を映しだして、淡々と。激しく。ゲンバに行ったドリアンさんのフィルターを通して。

90年代

記憶はある。音楽を聞くとたまらない。でも社会で何があったかの記憶はあいまいというか上の空。その時代にPKO をめぐり国会が揺れていたこともよくわからない。ましてやカンボジアの現場のことなんかもっと知らない。知らないことばかり。

原発・被災地

これも全然わからない。原発の様子。福島の様子。被災地の様子。それとは別に放射線量計が教えてくれる放射線量の値の深刻さ。そもそも放射能の恐ろしさをわかっていない。

ライブがおわって昔国語で出てきた「桃源郷」という言葉を思い出した。考えてみれば長年行ってみたかった場所。そこでこれまた気になることを聞いてしまった。それはいつも会場のトンネルにあるのではないと言うこと。まさに「桃源郷」という言葉の他に当てはまる言葉は自分の辞書にはなかった。

会場をでて澄んだ景色で飲んだコーヒーの普段とは違う味をしばらく忘れないようにしよう。