<多様>について考えてみる。


ドキュメンタリー映画『写真家ソール・ライター 急がない人生でみつけた13のこと』をみた。写真に芸術性より商業性を求められた80年代、突如表舞台から消えたソールライダーさん。時を経て感じたことを赤裸々に語っていた。

とにかくでるわでるわのソールライダーさんの持論。映画を楽しむというより、何か教えを画面越しにもらう。そんな感じだった。

今池のシネマテークで『写真家 ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』をみた。あいかわらず、言いきるって気持ちいい。

うろ覚えなのだが、ソールライダーさんはこんなことをいっていた。

多様性多様性というが、それは今にはじまったことではない。昔からあることなのだ。

何かにつけ、(ネット社会を中心とするものに対して)「今の世の中は多様化してますからね・・・。」という論調が世の中を漂う。

多様性と言えば、この映画を見る前に<多様性の中身を知ること>に焦点を当てたいよといっている方のブログを読んだ。以下一部引用。

このことばを使うと、なんだかいろいろOKになった感じがある・・・。一方で、実際に様々な属性、様々な背景、様々な価値観の人たちがいる場で多様性を具現化しようとして、その多様性がゆえの葛藤やズレなどが生じ出すとその状況を収めるためなのか「まぁ、いろいろな人がいますから・・・」とか「人それぞれですからね」と言うことばが登場します。わたしはこの「まぁ、いろいろな人がいますから・・・」といった表現が好きではありません。ことばとしては多様性を認めているかんじもしますが、よくよく考えると、いろいろな人がいるのはわかりきっているので、今みんなで何かに取り組もうとしているそのこと自体に水を差すものだと思うのです。 *1)

本当そのとおりだと感じる。「多様性」というだけで切り札とかワイルドカードになってしまう。その「多様性」の裏側では、どれだけの血の通ったやりとりがあるのだろう。その「多様性」の重なり合いでどれだけの人の生活が満たされた潤いのあるものになっているのだろう。

冬になりかける時期から読んでた谷崎潤一郎さんの陰影礼賛をやっと読み終えた。図書館で借りた本は発刊された当時に製本されたであろう面影が漂っていた。

単に暗い・明るいだけではなく、国民性の話・お手洗いの話・旅の話など多岐にわたるテーマが展開されていた。設備の話・燃料の話はあるけど、とても共感ができた。昔の人も変わらないんだ。そこに驚く分は構わないが、冷静に考えたら、驚くべきトピックではないことがわかる。日々の蓄積があって今があるのだから。

<ネットなどの文明は、「便利になる」ために開発された。>それを逆手にとって、ネットの普及でニーズが多様化したとかいう話ではないと思いたい。

学ぶこと・思いをはせること・・・・はいろいろある。〈多様〉という言葉を多用する前に。

*1)「支える人のための1on1」のこともう少し(2) 学習者の多様性の中身を知る - open lab.
http://open-the-lab.tumblr.com/post/136999347759/支える人のための1on1のこともう少し(2)


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