喫茶店というとこ。まったりとかおちつくとか
ある街頭呼び掛けに参加して、それが終わってみんなでお茶でもしようかと大須の街を移動した。前から予定を合わせていた人とはお茶しようと私のほうからいっていた。何をどう話したいとか全くなかった。案内された喫茶店は古民家を改装したかのようなすごく感じが良かったとこだった。
一行がしていた事は互いの連絡先やマイミクの交換。確かに初対面の人ばかりだったし、まずは連絡先を教え合う事が最優先だったと思う。でも、ミクシーしてない人がすこし話についていけてなかったような気がした。
喫茶店といえばツイッターでこんなをやりとりをした。
栄まで歩いて、故郷の味、宮越屋珈琲店へ。そのあとは、地下鉄しました。でも、地下鉄に乗る前に、歩くかどうかどうしても悩んでしまう
宮越屋珈琲屋ってラシックの中の店ですよね? 一回行ってみたいと思っては入れずじまいです
地元にはあのお店がわりとたくさんあります。ひとりで考え事をしたいときに最適。車で行けるお店も多いし。名古屋にも路面店が出来たらいいのにって。思うけど、コメダが先にありますね。
そうなんですか。さっそくいつかいってみます
「さっそくいつか」って、妙にリアルでかわいい表現
今みたらはずかしいです。自分がそんな事いった日には実行しないと友達に読まれてしまいます けどけど行きます そして「宮越屋珈琲なう」とつぶやきます 追い込まれなきゃしないようなので。そこも楽しさなのかもしれませんが
わたくし、この表現、使えるぞ☆と思ったのでした。そのうち行けばいいんだもん。こういうのもっと、にやにやして、みんな使っちゃえばいいのにー。
(中略)
で土曜日、事務所でやろうとおもった「考える」事をスケジュール的な事とかいろいろ考え直し、宮越屋珈琲で「考えよう」と一路、宮越屋珈琲へ向かった。
まさかの宮越屋珈琲なう
ひたすら自分の考えをマインドマップに書き込んで2時間経過
「うぁ!」って言っちゃった!! かっこいー!!
ありがとうございます。私も今日このタイミングで行くと思わなかったので。 結果はどうであれものすごく集中できました
やりとりしてもらった方の「ひとりで考え事をしたいときに最適。」の言葉に完全に押されて無理やり行ってしまったという感じだったのですが喫茶店で一人で何かに取り組む事はすごく意味がある事なんだと改めて実感した。
BGMがすでにかかっていて自分で選べない→自分の聴きたい曲だと歌詞に感情移入してしまう。どーせFMとかMP3をきくんだろうなと思って入店したものの店内BGMはジャズぽくてそのまますっと作業に集中できた。
マインドマップ
- なにをどこにかいてもいいから、思った事を思ったままに関連するとこに追加して行くだけ。
- 思った事を自由に系統立ててかけるツール
この組み合わせで自分の思いにも発見があった。
また旅行の記事で書こうとしたのだが、
- 余暇ってなんだろ? 何に対して余った暇をいうのだろ? 余暇以外の余りでも暇でもないものって、そんなに必然的で、欠かせないものなの ・・・
というツイートか東京旅行中に流れてきた。
僕もこの問いの答えはわからない。
でも「まったりする」ってなんなんだろう
- 自分の日常をその場の人にいうこと?
- 思い出話に華を咲かせること?
- 自分の思いを相手に伝えること?
- 自分と向き合うこと?
どれも最近体験して体力のいる事やなとわかった。
というか、そういう疑問をもちながら「まったりする」事こそ意味がある事なんじゃないという話になるの?
よくわからんけどさ