代弁するということ

最近、自分なりに「代弁することって?」ということを考えている。「代弁」という言葉も借り物ですが。

先日、沖縄旅行でお世話になったトラベルパレットにお礼も兼ね、立ち寄った。そこでこんなことを相談された。要約するとこうだ。

1年間お世話になったお客さんに12月にカレンダーを送っているのだが、視覚に障害がある人たちに対してなにかいいプレゼントはないか毎年悩む。アイデアがあったら・・・。

自分的にすぐに答えが出そうな問いだが、今もしっくりした答えが出ていない。それとこんなことを尋ねてきてくれることに対して、自分なりに考えたいと思った。

大学時代に自分を含めた肢体・聴覚・視覚の各障害を持つ人達と過ごしてみて、それぞれの障害が抱えるバリアを解決する道具の1つがパソコンなのだ。と心底実感できた。

逆に自分自身の障害を肢体以外に障害を持つ人達に理解してもらって自分が助かったこともある。

大きなことはできないことはよくわかっている。でも、障害のことでなにか聞かれたら自分のできる範囲で助けになれたらと思っている。

知らないことは知らないと言うことこそが、代弁になるはずだ。

来年に向けて2件計画中のことがある。まずはそこから。


投稿者

    Re:代弁するということ

    いつも読ませてもらっています。
    基本的に、自分の口で言語として発信できる方には、代弁ではなく直接聞けばいいと思っています。
    問題は言葉として伝えることができない方で、僕は、そういう方の代弁者になってくれ。とよく言われて(医療的ケア関係で)頭を抱えています。

    投稿者名 はるた Web